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050904 - Sunday
鏡に映ったものが、左右反対になって見えることの説明
「鏡に映ったものが左右反対に見える」というのは、実は錯覚である。 このことは車を運転していて、バックミラーを覗いてみたときのことを想像すれば分かりやすい。 右のウインカをだした車は、ちゃんと右折する。 (このとき左右は入れ替わっていない。右のウインカを出して左折されたら危なくて仕方がない。)
しかしノートに書いた文字などは、鏡に映して見ると確かに左右が反対になって見える。 実は、これは観察者と対象物の位置関係が、鏡の表面で反射した光を受像することで逆転しているためである。 つまり観察者から対象物に至る視線をベクトルに喩えると、対象物に達するベクトルの向きが180度反転している。 反転しているのは対象物の左右ではなく、観察者と対象物の位置関係である。
たとえば文字が書かれたノートを持って鏡に向かったとき、観察者にノートの内側(文字の書かれた面)が見えていれば、 鏡に映っているのはノートの外側、つまり表紙である。 鏡にノートの内側を映そうとすると、ノートの向きを変えて、内側を鏡に向けなければならない。 このときにノートを左右に回転させるから、鏡のなかの文字が左右逆になるのである。 ノートを上下方向に回転させて鏡に向けたら、文字の左右はそのままで、 上下に逆になった文字を見ることができる。 鏡に映した対象物が左右反対に見えるのは、鏡に向けるために対象物を左右方向に回転させているからである。
同様の現象は、観察者が向きを変えるときにも起こる。 鏡と対象物の中間に観察者が位置するとき、観察者は、対象物を直接見る場合と、鏡に映して見る場合とで、 180度振り返る必要がある。 このとき体を(又は頭を)左右方向に振れば対象物は左右反対になって見えるし、 上下方向に振れば(たとえばブリッジの姿勢、もしくは倒立姿勢)左右はそのままに、上下が反対になって見える。
では、観察者と対象物の位置関係(若しくは観察者から対象物に至る視線のベクトル)が反転すると、 どうして上下や前後ではなく、左右が反対になって見えるのか。
その理由は人間の体の形に由来している。 人間の体は、上下及び前後が絶対的に決まっている。(見分けがつくという意味) 一方、左右は対称で、そのために左右の概念は相対的なものである。 つまり左右だけが、入れ替わったように認識し得るのである。
以下に具体例を挙げる。鏡と対象物を結んだ直線の延長線上に観察者が存在する場合を考える。
対象物が完全な球体で、白一色だったとする。 このとき観察者から直接見た対象物と、鏡に映った対象物に外形上の差は見つけられない。 対象物が前後・上下・左右について完全に対称であれば、鏡に映しても何も反対にはならない。
つぎに、縦に長い直方体で、上半分が黒く、下半分が白く塗られた物体を想定する。 ただしこの対象物の右側面の中央には突起した部分があり、左右の見分けがつく。 (正確には、突起のある側を右側面と定義した状態である。) すると、この物体は上下及び左右が非対称で、前後が対称な物体であるといえる。 この物体を鏡に映して見ると、左側面が突起しているように見える。 しかし突起している側は右と定義されているので、左側面が突起しているというのは誤った認識であるということになる。 突起した側が右側面であるとするためには、物体の前後が反転しているのだと考える必要がある。 つまり、上下・左右が非対称・前後が対称な物体を鏡に映したとき、「視線が反転している」ことを認識せずに 鏡の中の状況を説明するには、「物体の前後が反対になった」と錯覚するしかない。
同様に、前後・左右が非対称で上下が対称な物体なら、鏡に映ったものは上下が逆になって見えるだろう。 人間の体は前後・上下が非対称で、左右が対称であったため、左右の概念が相対化されている。 そのため「左右が逆になった」と考えることにより、鏡の中の状況を説明し得るのである。
フランツ・カフカ、編訳:吉田仙太郎 「夢・アフォリズム・詩」 平凡社 1996
1883-1924、ドイツ語系ユダヤ人作家。生前の作品のほかに、 死後、友人のマックス・ブロートによって多くの遺稿が刊行されている。 発表するつもりで書かれた作品はともかく、日記や私的なノート、手紙まで 公表されたら、とても恥ずかしいと思う。
山崎靖夫 「絵ときでわかる無線技術」 オーム社 2002
昔、144MHz帯の受信と、430MHz帯と1200MHz帯の送受信ができる小型無線機を持っていた。 アマチュア無線の周波数帯が概ね3の等比数列になっていることの理由がわかった。 ある波長の電波をとらえるアンテナは、奇数分の1の波長の電波も給電できる。