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050918 - Sunday
ドグラ・マグラ
昭和10年1月に自費出版された夢野久作の代表作。 構想10年以上ということだから、着想は大正の時代ということになる。 参照元は森博嗣「すべてがFになる」。
この小説の特徴として、全編を通じて地の文(=読者に対して客観的な事実であると保証された情報) がまったく存在しないので、読者は何ものも推理し得ないというミステリの型破りな構成がある。 もちろんミステリではないのかもしれない。 作中に同名の「ドグラ・マグラ」と題する論文が存在し、ネストしている。 作品自体もループしている。 この作品の印象は、指数eの微積分計算のような、グラフに表したオイラー関数のようなもので。 それに初めてふれたときの、「何かとんでもないものが隠されている」という確信的な直感と、 しかしそれが何を意味するのかわからない、捉えどころがないという諦めの二重螺旋。
文体はいわれているほど難解なものとは感じなかった。 むしろ現代語とそれほど隔たりがあるわけでもなく、森鴎外あたりと比較すればよほど読みやすい。 ただミステリの形態としては、現代的なノベルスのメソッドが確立されていないためか 作品中に明確な区切りや章立てがない。 このため読み出したらどこで一息つけばいいのか、読み手が困ってしまう。 (ただ、作中に登場する論文である以上、商業的なミステリ・ノベルス的な ルールを取り入れられない事情があるので、古い作品であることだけが原因ではない)
実はもっとも驚かされる点は作中にはない。 この作品が「昭和10年1月」の時点ですでに発表されていたという事実こそ、最大級の驚きである。 その事実が示すのは作者の鬼才。その意志が恐ろしい。
夢野久作 「ドグラ・マグラ」 角川文庫 1976
日曜日の夕食後、夜中3時ごろまで一気に上巻を読み終えてしまって、 月曜日は寝不足で出社した。 平日は忙しくなかなか本を読む時間がとれないのだけれど、 その間、仕事をしていても電車にのっていてもご飯を食べていてもトイレでも、 ずっとドグラ・マグラのことを考えている自分を発見する。 その週は何度もドグラ・マグラの夢を見た。 若林博士の病的で不健康な顔が、暗い解剖室に浮かんでいる想像が頭から離れない。 「これを読む者は、一度は精神に異常をきたすと伝えられる、一大奇書。」という裏書きは ほんとうのことかもしれないと、怖くなったくらい。 これほど引き込まれた作品は初めてだった。
“子を思う心の暗も照らしませひらけ行く世の知慧のみ光り” - 現代の合理主義的な自然科学の発達は、暗を差す光明となり得たであろうか。